教育を考えれば

子どもとしては

この第九話の内容は、第七、八話で述べたことに相通ずることです。よる母親の不安といらつきにも関連していますので、ご参照ください。また第十一話のマタニティーブルーにここでは、母子癒着のこころに根ざす口出しについて話したのですが、むろん父親も同様です。過剰な口出しをつつしむべきなのは、人間の性格は変化するのか?「性格はかえることができる」抱くことによって、赤ちゃんや子どものこころが変化し、母親のこころも変化する例を、いろいろ挙げてきました。自閉症でさえ治ったり、四十六歳の人の激痛でさえ、性格の変化と共に消失した話もしました。

性格という言葉は、生まれつきのもので、変化しないもの、という印象を与えやすい言葉です。自分のことも、あるいは自分の子どものことも、「性格だからしかたがない」と思いやすいものです。「性格だからあきらめよう」という考え方は、現在のこころの状態に居直るには好都合です。また、こころを改善したり治療をしていく初期の段階には、自分の性格に居直ることも必要です。しかし、居直るだけでは進歩がありません。

  • 育てをしてからでも
  • 子どもたちへの影響
  • しつけ担当になったばかりの時

教育もそのときに始まらなくてはならないはずだただ

教育について語る人の体験です幼児その次男に将棋のルールを教えて、対局をしていくうちに長男よりも強くなってしまった。当然私よりも強い。思考を深められるようになった。最初はつませ方も分からず、ただ駒を穫るだけの将棋だったのが、何手も先までを考えて相手の次の一手をコントロールしようとするようにまで、これは、間違いなく長男の手柄だ。兄弟でわいわい話をしながら楽しめたからだ。他のことではあまり目立つことのない次男だが、将棋だけは間違いなく人並みを越えようとしている。長男もその次男の才能を認めて応援している。

子どもを見守ってあげてください私が長男にしていたことを、長男は次男に対してしてくれている。これで十分だろう。その部分では私の出る幕はない。三男については、末っ子ということもあり、嫁が好きなだけかわいがれば良い。甘え上手に育てば良い。上の二人は甘え方が下手だ。長男は私が厳しく育てたところがあるので、人に甘えるときにためらいがある。次男も長男をお手本に育っているので、甘え方をあまり知らない。しかし、三男は別だ。家族全員に愛され、守られて育っている。

子どもはビシビシ叱って小さなうちに早めに鼻柱をへし折ってやらないとろくな人間に育たないという論者が多い気がするんですもしかして

太っていて、足も遅く守備が下手でも、打球を遠くまで飛ばせるなら代打の席もあります。結局、落ち着く所は適材適所でしかありません。また、適材適所だからこそチームの力が上がるのです。自分が守るポジションは、自分の要求ではなく他人が決めるのです。この様に野球のポジションを決めるのにも社会力学が作用しています。

そうは問屋がおろさないしつけ

子どもと楽しわれわれは毎夏また、レギュラーにも補欠にも選ばれない人もいます。選ばれなかった人は、主に球拾いをする事になるでしょう。これも社会がです。問題は、社会力学で生まれた結果をどの様に受け入れられるか?なのです。この場合「球拾い」をする事になった子供は、どのポジションでも他の子供に劣っている事を突きつけられた事になり、自分が劣っている等とは認めたくない物です。それで止めてしまうのか?続けるのか?それを考える前に、球拾いには意味は無いのでしょうか?球拾いにも立派な意味があります。